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赤坂憲雄『性食考』

二月のなかばに京都へ旅行をしてきた.以前にも幾度か訪うているから,どこを見て回ろうか思案していたのだが,すぐ頭に浮かんだスポットとして,あの『檸檬』の丸善がある(ところでわたしは京都の地理にうとく,一番の繁華街といえばあの四条河原町のあたりを指すということを知らなかった.そもそもまともに足を運んだことがなかったと思う).さっそく行ってみると,美術書や洋書が充実しており,さらに椅子と机があって「座り読み」ができたりもして,至れり尽せりである.そしてその机の並びの脇に『檸檬』のコーナーが設けられており,バスケットに持参したレモンを置いたり,購入した新潮文庫の『檸檬』にスタンプを押したりすることができる.ただ,やはり檸檬は「ゴチャゴチャに積みあげ」られた「本の色彩」の「城壁の頂き」に据えつけられなければ,「あの気詰まりな丸善も粉葉みじん」にできないのではないだろうか,というようなことを思う(引用は青空文庫による).ちなみに併設されているカフェでは,「檸檬」というスイーツが提供されていたりもして,これはおいしかった.

 

ここまでが枕である.わたしはいちおう本の紹介をしたいと思っているのだ.その丸善の人文書コーナーをふらふらしていたときに,目に飛び込んできた平積みの本が,赤坂憲雄『性食考』であった.

 

性食考

性食考

 

内容紹介:

「食べちゃいたいほど,可愛い.」このあられもない愛の言葉は,〈内なる野生〉の呼び声なのか.食べる/交わる/殺すことに埋もれた不可思議な繋がりとは何なのか.近代を超え,いのちの根源との遭遇をめざす,しなやかにして大胆な知の試み.神話や物語,祭りや儀礼等を読み解き,学問分野を越境してめぐる,魅惑的な思索の旅.

 

表紙絵が印象的なので,つい手に取ってしまった.あとがきによると,著者自らが鴻池朋子の絵の一部分を選んだものであるらしい.眺めるうちに,それが著者をして想起せしめたのは宮沢賢治の『狼森と笊森,盗森』のある場面であったという.横着したいので,青空文庫からそのまま引いてしまおう.

そして蕎麦そばと稗ひえとが播まかれたやうでした。そばには白い花が咲き、稗は黒い穂を出しました。その年の秋、穀物がとにかくみのり、新らしい畑がふえ、小屋が三みつになつたとき、みんなはあまり嬉うれしくて大人までがはね歩きました。ところが、土の堅く凍つた朝でした。九人のこどもらのなかの、小さな四人がどうしたのか夜の間に見えなくなつてゐたのです。
 みんなはまるで、気違ひのやうになつて、その辺をあちこちさがしましたが、こどもらの影も見えませんでした。
 そこでみんなは、てんでにすきな方へ向いて、一緒に叫びました。
「たれか童わらしやど知らないか。」
「しらない。」と森は一斉にこたへました。
「そんだらさがしに行くぞお。」とみんなはまた叫びました。
「来お。」と森は一斉にこたへました。
 そこでみんなは色々の農具をもつて、まづ一番ちかい狼森オイノもりに行きました。森へ入りますと、すぐしめつたつめたい風と朽葉の匂にほひとが、すつとみんなを襲ひました。
 みんなはどん/\踏みこんで行きました。
 すると森の奥の方で何かパチパチ音がしました。
 急いでそつちへ行つて見ますと、すきとほつたばら色の火がどん/\燃えてゐて、狼オイノが九疋くひき、くる/\/\、火のまはりを踊つてかけ歩いてゐるのでした。
 だん/\近くへ行つてみると居なくなつた子供らは四人共、その火に向いて焼いた栗や初茸はつたけなどをたべてゐました。
 狼はみんな歌を歌つて、夏のまはり燈籠とうろうのやうに、火のまはりを走つてゐました。
「狼森のまんなかで、

火はどろ/\ぱち/\
火はどろ/\ぱち/\、
栗はころ/\ぱち/\、
栗はころ/\ぱち/\。」
 みんなはそこで、声をそろへて叫びました。
「狼どの狼どの、童わらしやど返して呉けろ。」
 狼はみんなびつくりして、一ぺんに歌をやめてくちをまげて、みんなの方をふり向きました。
 すると火が急に消えて、そこらはにはかに青くしいんとなつてしまつたので火のそばのこどもらはわあと泣き出しました。
 狼オイノは、どうしたらいゝか困つたといふやうにしばらくきよろ/\してゐましたが、たうとうみんないちどに森のもつと奥の方へ逃げて行きました。
 そこでみんなは、子供らの手を引いて、森を出ようとしました。すると森の奥の方で狼どもが、
「悪く思はないで呉けろ。栗くりだのきのこだの、うんとご馳走ちそうしたぞ。」と叫ぶのがきこえました。みんなはうちに帰つてから粟餅あはもちをこしらへてお礼に狼森へ置いて来ました。

 

このお話では,子どもたちは「向こう側」へ漂い行くすんでのところで「こちら側」へ連れ戻されている.本文中にもいくどか触れられている絵本の『かいじゅうたちのいるところ』では,オオカミの着ぐるみを身にまとった少年マックスは,いつの間にか怪獣たちの世界へ,一度とはいえじっさいに行ってしまう.人間と動物との境界がどこか曖昧で,互いに変身して移り変わることができる,そういう始原への考察は本書のひとつのテーマである.ちなみに現実の例もあって,著者が聞き書きした山形県のあるムラでの狩猟の情景が参考に挙げられている.曰く,「はじめて春の熊狩りに参加した少年は,獲物の熊が捕れたときには,解体されたばかりの熊の毛皮をかぶせられた」そうだ.

 

「食べちゃいたいほど,可愛い.」に着想を得て説き起こされる,いわばコインの裏表である食欲と性欲,その複雑に絡まり合った二本の幹を言葉をよすがとしてたどりながら,「この世のはじまりの風景」を見定めようとする道程,それが本書の全体を成している.しかしこの試みは,いずれ「薄明のなかの不定形としかいいようのない影の部分」にはばまれることを避けられない.そのことが理由かどうかはわからないが(それと,岩波書店のウェブ連載がもとになっているので),本書は終始ひとつの論旨に貫かれた書き方がなされているというよりは,各章が比較的に独立したエッセイとして,多角的な視座から「影の部分」の周りを輪郭づけていこうとしているように思われる.そういうわけなので,けっこう気楽に,たのしく読める(散漫に感じられる部分も多いといえば,その通りであるが).

 

書き起こしに,芥川龍之介が,のちの妻となる文(フミ)へ宛てた手紙が引かれているが,実は同じ手紙の内容が以前に Twitter で流れてきたのを見たことがあったので,少し驚いてしまった.ここにも引いてみよう.

 二人きりでいつまでもいつまでも話してゐたい気がします  さうして kiss してもいいでせう  いやならばよします  この頃ボクは文ちゃんがお菓子なら頭から食べてしまひたい位可愛いい気がします  嘘ぢやありません  文ちゃんがボクを愛してくれるよりか二倍も三倍もボクの方が愛してゐるような気がします  何よりも早く一しよになつて仲よく暮しませう  さうしてそれを楽しみに力強く生きませう

 もちろん,これが引かれているのは「頭から食べてしまひたい位可愛いい」というフレーズがあることによるのであるが,なんというか,こんな手紙が残っていては彼の自死もかたなしという気がしなくもない.気の毒なことである.

 

閑話休題.本書では実に多種多様な民話や昔話,童話がとり上げられているが,宮沢賢治の『蜘蛛となめくぢと狸』の分析には舌を巻かざるを得なかった.誰しもかつて一度は聞いたことのある童話であろう.注目されるのは,へびに足を噛まれたとかげを,なめくじが嘗めて治してあげましょう,という場面である.青空文庫より引く.

そしてなめくじはとかげの傷に口をあてました。
「ありがとう。なめくじさん。」ととかげは云いました。
「も少しよく嘗めないとあとで大変ですよ。今度又また来てももう直してあげませんよ。ハッハハ。」となめくじはもがもが返事をしながらやはりとかげを嘗めつづけました。
「なめくじさん。何だか足が溶とけたようですよ。」ととかげはおどろいて云いました。
「ハッハハ。なあに。それほどじゃありません。ハッハハ。」となめくじはやはりもがもが答えました。
「なめくじさん。おなかが何だか熱くなりましたよ。」ととかげは心配して云いました。
「ハッハハ。なあにそれほどじゃありません。ハッハハ。」となめくじはやはりもがもが答えました。
「なめくじさん。からだが半分とけたようですよ。もうよして下さい。」ととかげは泣き声を出しました。
「ハッハハ。なあにそれほどじゃありません。ほんのも少しです。も一分五厘りんですよ。ハッハハ。」となめくじが云いました。
 それを聞いたとき、とかげはやっと安心しました。丁度心臓がとけたのです。
 そこでなめくじはペロリととかげをたべました。そして途方とほうもなく大きくなりました。

 一読してみて奇妙に思えるのは,なぜ「丁度心臓がとけた」とき,とかげは「安心」するのか,ということだ.著者はこれを,「恐怖にまみれた快楽の果て」,「性的なエクスタシーへと押しあげられてゆく」末の,「永遠の切断としての死」の訪れとみる.すなわち,このなめくじととかげとの絡みあいは,「嘗める」ことの意味が,傷を治すことから愛撫することや味わい食べること,ついには殺すことへと重層的に変化していく様を表しているのだという.本書で問題となっているいくつものモチーフが,この小品のなかに巧みに編み込まれていると考えると,この作品の魅力はいや増すであろう.

 

このほかにも,サルトル存在と無』の「穴の実存主義精神分析」や,夢野久作ドグラ・マグラ』における,絞め殺した美女をその白骨化に至るまで観察し写生した絵巻物など,興味をそそる題材がそこかしこに散りばめられている.もしよかったら,手にとってみていただきたい.