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『WXⅢ 機動警察パトレイバー』

 

WXIII 機動警察パトレイバー [Blu-ray]

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 ゆうきまさみによる原作コミック「廃棄物13号」をモチーフに、サスペンスタッチで展開されるシリーズ最大の異色作! 昭和75年の東京、続発する奇怪なレイバー連続殺人事件。事実解明に挑む城南署の刑事、秦と久住は捜査を進める中、事件の鍵を握るひとりの女性科学者に出会い巨大な陰謀の渦に巻き込まれていく…。総監督:高山文彦、脚本:とり・みきの新規スタッフが放つ新世紀の“パトレイバー”。

(公式サイトより)

映画についてなにか書いてみたいと思った.せっかくならば,あまり知名度が高くないであろう作品について,掘り起こして光を当てるほうがよかろう.というわけで,いつだったか忘れたがむかし観て以来いくども観直している,わたしのお気に入りのアニメ映画『WXⅢ 機動警察パトレイバー』についてその筋を追ってみたい.本作はパトレイバーの劇場版第三作にあたるが,おそらく前の二作品のほうがずっとよく知られているのではなかろうか.そちらの監督はあの押井守だし,Amazon のレビューをチェックしてみたってこの『WXⅢ』は明らかに日陰の存在である(Google の検索窓に「パトレイバー3」と打ち込むと,「つまらない」がサジェストされる).それも無理はない気がしていて,だいいちパトレイバーがほとんど出てこないのだ,せいぜいラストの大掛かりな作戦においてとってつけたように出動するくらいであり,完全に脇役となっている.そういうわけで,当時の熱心なレイバーファンにとってはしこりの残る作品であったのだろうが,裏を返せば,いま鑑賞するのになんら特別の予備知識も要らず,むしろ入っていきやすいのではないかと思う(わたしもパトレイバーにはまったく明るくない).そしてなにより,ストーリーはとてもよくできているのである(つまらなくなどない!).物語は基本的に,昔気質の中年の刑事である久住武史と,それよりは若いこれも刑事の秦真一郎とがその足でもって聞き込みをくり返すことで進んでいく.BGM は控えめで環境音が多く,なんとも静かで地味な印象を全体に添えている.とてもロボットものとはいえないだろう,むしろ刑事ものだ.

 

さて,以下で詳細な内容に入っていきたいのだが,当然ながらネタバレになってしまうので,ちょっとでも興味のあるかたはぜひ先に本編を観ていただきたい.トレーラーもけっこうネタバレ感が強かったので,あえてリンクを貼ることはしない.ひとつ余計なことをつけ加えておくと,たぶん煙草を嗜まれるかたは本作を気に入られるのではないかと思うのである(わたしは吸わないけれども).

 

冒頭,東京湾を航行する漁船が航空機の墜落を目撃する謎めいたシーンで映画は幕を開ける.続いて,曇り空のした草野球でピッチャーをしていた秦は,突然の呼び出しを食らう.現場に立ち合い,秦は久住に尋ねる.「遺体って,これだけですか?」「ああ」

雨の降りしきる駐車場で,秦は自分の車を出そうとすると,真っ赤な車のボンネットを開けて窮しているらしき女性の後ろ姿を見かけ,声をかける.暗い色調の画面に,その白皙と黄色いワンピースとが鮮烈に,一種異様に,映る.送り届ける車内で,髪を拭き終わったタオルを畳んだ彼女に,秦は話しかける.

「煙草,吸いたいんじゃないですか?車に乗ったとき,灰皿のほう見てたから.構いませんよ,どうぞ,吸ってください」

「身体に悪いのに,なかなかやめられなくて」

「ぼくも前は吸ってたから,わかります」

 大学へ着くと,彼女は大きなトランクを教室へと運んでいくのだった(いくつかの視点が順繰りに切り替わりつつ進行していくので,ここではこの女性に関するシーンをメインに据えることにしたい).

 

ここから刑事ふたりの聞き込み捜査が始まる.すでに4件の事件が起きていたが,今度は潜水艇がその調査中に破壊されたという報告が下る.担当者に聞いてみると,作業モニタには,魚のひれのようなものが写り込んでいた.秦は久住を助手席に乗せるが,煙草に火をつけようとする久住に,「この車は禁煙です」と言い放つ.しかしその後,久住は足元に落ちていた赤地に金の装飾入りのライターを見つけ,意地悪い口ぶりで「この車,禁煙じゃなかったのか?」イニシャルは M.S. となっていた.

 

大学で生物学の講義をする女性.通常の細胞とは異なり癌細胞にはテロメアを修復する機能があるため,分裂回数に限度がなく,永久に増殖することができる.

「この細胞も,小児性の癌で亡くなった患者の一部です.本人は死んでいるのに,その癌細胞はいまでも生きている.不思議な気がするわね」

ライターを返しに来た秦.「このためにわざわざ?」「まあ,それもあるんですけど……実はこれは口実でして」ここで初めて彼女の名前がわかる.「岬冴子です」

 

ふたりはデートに出かける.アントン・チェーホフ桜の園』を観に行くのである.いったいどちらのチョイスなのだろうか.ラネーフスカヤ夫人の真に迫る台詞が流れる.岬は俯き加減に,無表情なようで神妙に,聴き入っている.

どんな真実?あなたには真実や嘘のありかが見えていてわたしには見えない.あなたは大事な問題を片っ端から解決した気でいる.でもどうでしょう.それはあなたがまだ若くって苦しみ抜いたことがないからじゃなくって?わたしたちに比べれば,あなたはずっと勇敢で正直でまじめだけど,でもすこし寛大になってわたしを許してほしい.だって,わたしはここで生まれたんだし,父も母もお祖父さんもここで暮らしていて,わたしはこの家が大好きで,この桜の園のない生活なんか考えられないの.もしどうしても手放すというのなら,いっそこのわたしも一緒に売ってちょうだい.

 5年ぶりにパリから自分の土地に戻ってきた領主ラネーフスカヤだが,もはや一家は裕福ではないという現実を直視しない彼女は散財の悪癖をやめることができない.とうとう競売にかけられた桜の園の行く末が気にかかって仕方がない彼女に,醒めた大学生トロフィーモフは,領地はもう「昔の夢」なのだから,落ち着いて真実を見るようにと諭す.それにたいして彼女は上のように応じるのである.なお,原作ではこの後ろにはさらに,「坊やもここで,溺れ死んだんですものね」と続く(新潮文庫神西清訳より).

 

ナイトクラブのすぐそば,またも湾岸で殺人が起こる.そして近くの備蓄基地に異常が発生し,ライトがすべて落ちる.(運悪く)パトカーに乗っていた秦と久住は現場を見に行くことになる.「タクシーにしときゃよかった」「まあ,これも公務ですから」

ここで,久住がどこかその存在を感じていた,また秦は信じていなかった,「やつ」が姿を現す.アクションシーンであるが,安全なところにいる若い秦が,歳のいった,おまけに足の不自由な久住が必死に逃げるのをサポートするという展開になっている.こうしたシリアスな場面にあっても,コミカルに響く台詞があるのが好みである:

「久住さん,一番上の階に非常口があります!心臓が破れようが,とりあえずそこまで走ってください!」

「走ってやろうじゃねえかこのやろう!」

 

回収された怪物の肉片を分析してもらうため,東都研究所に赴く秦.ここで岬と出くわす.本職はこちらで,大学で講義しているのはアルバイトだと言う.彼女の机の上には,夫婦とその子どもの3人が写っている家族写真がある.娘の名前は一美(ヒトミ),夫は3年前に事故で亡くしたのだと語る.秦は自分のことを公務員だと言っていたが,ここで刑事であることを明かす.

 

分析結果によると,肉片の細胞はニシワキセルとヒト癌細胞の融合体のようなものであるという.秦と久住はニシワキセルについて調べ,西脇順一という人物にたどり着く(詩人の西脇順三郎となにか関係があったりはしないのだろうか,これはわからない).ニシワキトロフィンという物質の発見者であり,また来須とともに東都研究所の設立者である.10年以上前に亡くなっている.「私と家族」と題された記事で,西脇の隣に座る制服の少女に秦は目を留める.「どうした?」「いや,別に」

 

秦は岬に電話をかけるが,つながらない.東都研究所を訪ねてクロだと確信した久住は,さらに西脇順一の線をあたる.西脇家の墓へ足を運ぶ久住は,雨が降り始め傘を開く,その向かうずっと先を横切っていく女性.墓石を目にするや否や,彼は傘を捨て道路のほうへあわてて駆け出す.手をかけたフェンスの向こう,真っ赤な車が曲がり角を膨らみ気味に左折すると,急加速して目線の先へと走り去っていく.霊前には花束が供えられ,線香が白い煙を上げているのだった.

 

久住は秦を自宅に招く.壁の全面を埋め尽くす膨大な量のレコード.「俺はアナログレコードしか聴かないんだ」久住は交通課に頼んで西脇家の墓参りをしていた女性を調べていた.岬冴子,旧姓は西脇.

「お前付き合ってるのか?」

「そんなことまで調べたんですか?」

「女のイニシャルが,ライターと同じだった.それに最近のお前の様子.調べたわけじゃない」

「彼女に嫌疑でも?」

「東都の主任研究員だからな,疑うのは当たり前だろう」

 秦は岬冴子のことは自分が調べると言う.

「パソコンネットの伝言板に書くのか?逃げたガールフレンドを探していますって」

「久住さんのも書いてあげましょうか?わたしを捨てた家族を探していますって」

「秦,頭を冷やせよ」

 

 大学研究室の人間に無理を言って,岬のロッカーを開けてもらう秦.大きなトランクが転がり出て,中身が明らかになる.DAT プレーヤーとスピーカー,そして小さなビンには「ニシワキトロフィン」のラベル.これは怪物の餌となるものだ.研究室で行方不明になっていた試薬であるらしい.彼女のアルバイトの理由はここにあった.

 

秦は,岬のアパートを訪ね,管理人に鍵を開けてもらう.なかはもぬけの殻であったが,ひとつだけ施錠された部屋があった.管理人が見ていないことを確かめて,秦は折りたたんだ紙で鍵を開ける.そこで彼は,異様な光景に面食らうことになる.それは壁一面に引き伸ばされた,一美の写真であった.

 

さらに秦は,岬家の両親を訪ねる.冴子から,秦が来たら渡すように頼まれていたものがあるという.それは,一美のことを撮ったホームビデオと,「子守唄」とテープの貼られた DAT であった.ビデオを再生すると,ピアノを弾く一美の姿が映し出される.ベートーヴェンピアノソナタ第8番『悲愴』.そして一美は,小児性の癌で亡くなったことを告げられるのだった.「子守唄」を,いったい何に聴かせていたのだろうか.

 

「子守唄」DAT を分析する久住.すべての事件現場付近で,この DAT が含む超音波領域の音に類似した波形の音が発せられていたことが明らかになる.CD はヒトの可聴域外の音をカットしてしまうが,アナログオーディオではそうでない.久住ならではの気づきであろう.岬は,この DAT を用いて怪物をおびき出し,自ら餌を与えていたのだ.岬がひとりトランクを手に埠頭に立っていたシーンはこれを暗示する.ひょっとすると,冒頭のシーンもその帰りだったのかもしれない.岬家の父が庭の池の鯉を手を叩いて寄って来させ,餌をやっていたのは暗喩的である.同時に,これを利用して怪物をおびき出し,細胞を死滅させる特殊弾頭で処理する作戦が立案される.

 

現場にやって来た岬を,秦は招き入れる.

「なぜ僕にテープを渡した?」

「尋問してるの?」

「理由を知りたい」

「わからないわ.もしかしたら,もしかしたら似ていたせいかもしれない.あなたあのひとに少し似てる.だから,ほんとうはあなたに止めてほしかったのかもしれない.わからない.もう忘れちゃったわ.理由なんか忘れちゃった」

 「彼女」の誕生の過程を話す岬.

「まるで魔法を見てるようだった.そう,あの子は新しく生まれ変わったのよ」

「生まれたのは,君の子どもなんかじゃない.生まれてきたのは,怪物だ」 

「怪物,ベイカーズダズン,廃棄物13号,いろんな名前でみなが呼ぶけど,わたしにはあの子の名前はひとつだけよ」

"baker's dozen" とは,13を意味する.「パン屋が量目不足を怖れて1ダースに1個おまけしたことから」(新英和中辞典より)なお,『悲愴』の作品番号は13である.

 

スタジアムに「子守唄」の音声が響き渡る.無邪気な,あどけない声.

「岬一美です.これから,ベートーベンの,ピアノソナタ8番を弾きます.聴いてください」 

 満場の拍手とともに曲は始まり,それを聞いた「彼女」は会場へと入ってくる.なんとも皮肉で残酷な演出であるように思われる.秦の手を振り払った冴子は,はるか上方よりその様子を見下ろしている.

 

作戦は予定通りに進行し,特殊弾頭が撃ち込まれると同時に,冴子は突き出した鉄骨の突端より身を投げる.しかし,すんでのところで秦がその左手首を掴む.動きの鈍った「彼女」のわきに,陸自の戦闘ヘリが降り立つ.「シナリオが変わった」火炎放射が始まる.上半身を覆っていたカウルが外れ,その乳房が露わになる.「彼女」は東京湾の底で,少女から大人へと,確実に成長していたのであった.かたく掴まれた手は雨に濡れ,久住が駆けつけるまでもちこたえられようはずもなかった.「彼女」のくずおれる断末魔とともに,冴子の手は秦のそれを離れる.けっきょく,冴子は「あの子」が焼き殺されるその最期まで,見届けることになってしまった.

 

ラストシーン.西脇家の墓に参った秦は,さりげない仕草でもって「前は吸ってた」煙草を口に咥えると,赤いライターで火をつける.これは冴子のライターであろうか.なんともシニカルでペーソスに満ちた,気の利いた幕の引きかたではないかと思う.冒頭の邂逅の後,車内で愉しげに喋りかける秦と,ラストの喪服に身を包み,とくにどうという表情も浮かべない秦.これら始まりと終わりを結ぶ小道具として煙草はある.内心の思いを面に出さない程度には彼もプロであるが,一連の事件の真相が表沙汰にされないことに対するささやかな反抗と,それから冴子と自らの運命に対するそれとを,ここに見てとることができるのではないだろうか.