umindalen

本と映画,カイエ.umindalen@gmail.com

雑記,というより断片

無聊を持て余している.だんだんと日記や Twitter との区別がつかなくなってくるかもしれないが,まあそれでもよかろう.

 

家の近所の方で,プランターや植木鉢をたくさん並べて幾種類もの植物を育てておられるひとがいる.ついこの間まで葉のすべて落ちたか細い枝えだは寒々しく,枯れてしまったのではないかとすら思えたが,いまや若々しい緑色を茂らせており,その見た目の嵩の違いは驚くほどである.そういえば,街路わきに植えられているツツジは鮮やかな花を咲かせていたが,それもだんだんと萎れてきた.時の経つのは早い.田舎育ちのわりに草木の名前をたいして知らないのは恥ずかしい気がするので,ちゃんと覚えようと思う今日この頃.

 

先日,気分が沈んでいるときにふと『暗夜行路』を引っぱり出して読み始めた.ページを繰るうちに気持ちがすーっと落ち着いてくるような,とてもよい作品である.どの一部分を切り出してきて読んでも価値があると感じられるような,そういう小説が好みだ.プロットあるいは内容がおもしろいと言われるような作品はだいたいそんなにおもしろくはない.筋に少しでもリアリティの欠如が感じられるとすぐに醒めて投げ出したくなってしまう.「深さ」や「全体」はたいてい胡散臭いもので,より大切なのは「表層」や「部分」のほうだ.

 

ひとと会うのは重労働だ,会う前から疲れている.誰かと相対していて,相手のちょっとした仕草や振る舞い,発話の断片などに嫌悪そして失望を覚えることもあるだろう.わたしは厭な人間なので,ひとの長所よりも気に障るところばかり目につくのだ.しかし,そうしたことからすぐに,内心で相手を切り捨ててしまうことは避けたほうがよかろうと思う.ある程度の期間は付き合ってみないことには,人間のことなどわかるものではない.簡単に割り切らないこと.それにわたしは,なにかもっと根っこのところで,どうしても人間が好きな気がする.

 

話題の『リズと青い鳥』を観た.初見のときはやや引き伸ばしすぎではないかと感じられたが,二回目の鑑賞では強く印象に残った.儚げな画がとても作品に合っていてきれいだし,その動きも感情を語りだすよう非常に繊細に作られている.例えばみぞれの髪の数本が浮いている無頓着な感じや,横に垂れた髪を触る癖など,こちらに訴えかけるものがある.みぞれは周りに無関心なようでいてその実よく見ており,真似するのが好きである.本作では図書委員とのくだりや「ハッピーアイスクリーム」であろうが,そういえば本編でも,大会後に握りこぶしを仲間と合わせるのにはまっていたのではなかったか.オーボエのソロも圧倒されるものがあった.ヴァイオリンではないが,まさに「節ながき啜泣」のごとく歌い上げる,彼女のその表情は物悲しげに映った.

 

都美術館のプーシキン美術館展へ足を運んだ.けっこう楽しめたし,図録の装丁もお洒落で,ロシアに関連するグッズも並んでいたりするのでおすすめである.ところで,わたしはセザンヌを見ると小林秀雄『近代絵画』とメルロ=ポンティ『眼と精神』が頭に浮かんでくる.同時代のルノワールが明朗な社交家であり,そして若く美しい女性の身体を豊穣なる色彩に描いたのと対照的に,セザンヌは大の人間嫌いで気難し屋,その求めるところはモチーフの本質へと内向的にずんずん下っていく.この画家の描こうとしたものはいったい何なのか,そのいわく言い表し難い様相はいかにも分析好きな批評家や哲学者を惹きつけそうである.後者の扉には次の引用がある(みすず書房より).

「私があなたに翻訳してみせようとしているものは,もっと神秘的であり,存在の根そのもの,感覚の感知しがたい源泉と絡みあっているのです.」

J・ガスケ『セザンヌ』 

この詩人ガスケによる画家の回想録は,小林も折に触れて引いている.分析の糸口としては,まず画家自身の言葉に耳を傾けなければならないだろう.この機会に岩波文庫版を買ってしまおうと思ったのだが,なんと絶版になっており,Amazon ではプレミアがついている.本は少しでも欲しいと感じたときが買いどきである.