umindalen

本と映画,カイエ.umindalen@gmail.com

久しぶりに朝まで飲んだ

さほど友人が多くもなく出不精であるわたしにとっては,ときたま気心の知れた人間と飲みに行くだけでもそれなりに特筆すべきイベントである.よい酒席というのはなにかしら感銘を与えてくれて,まあ,さしあたり明日からもまた生きていくかという気分にさせてくれる.せっかくなので,ちょっと筆を執ることにした.

 

今日は出かける予定もあるし,このあいだ珍しく買った煙草の残りもひとりでは喫まないし,というわけで久々に友人を誘うことにした.摂食が苦手なので夕方になってもろくになにも口にしておらず,コンビニで景気づけにストロングゼロを買って呷りながら大学の周りを彷徨っていたら気分が悪くなった,当たり前である.わたしはもちろんおいしいお酒は好きだが,舌に露骨にエタノールを感じるタイプのお酒も自傷の感があってそれはそれで悪くない(さいきんは強くて安いチューハイなどがぞくぞくとお店に並べられつつあるが,終末っぽくてよい).それと,図書館で借りた大量のハードカバーが重かった,もうすこし先のことを考えて行動しないといけないと思う.不忍池をぐるりとまわると,蓮の葉がずいぶんと繁茂してきているのが見える.てきとうに時間を潰して合流する.

 

娘の名前は万葉集からとろうとか(結婚できると思っているのか),漢字の部首で一番好きなのはどれかとか,牛丼には無限に七味をかけるとか,玉音放送のどこがお気に入りかとか,パンクロッカーは二十代で死なねばならないとか,古井由吉が読めるのは日本語話者の喜びだとか,大江の『われらの時代』を読めとか,コードギアスはおもしろいから観ろとかとか,いろいろ話したのだが,たぶん一番盛り上がってえんえんと続いたのが部落についての話である.ふたりともけっこうな田舎の出身なので,地元に暮らしていたころの思い出話をすると自然に(?)部落の話題が出て,これがそこそこ通じるのだ.東京の大学に来てこれはなかなかに稀有な体験であろう.やはり,もつべきはお互いに部落の話ができる友人である.もっとも,わたしは関東で彼は関西ということもあってか,被差別部落ということになると彼のほうがより問題を身近に感じながら育ってきたようである.

 

さて,なんでもかんでも本に結びつけてしまうのがわたしの悪いところであり,こういう談笑のなかで頭に浮かんだのが,野間宏『青年の環』であった.サルトルのいう「全体小説」を,野間が二十年以上を費やして実践した畢竟の大作八千枚である.第二次大戦が始まる年の大阪を舞台に,被差別部落解放運動が描かれる.これがとにかく尋常でなく長い,たぶん『カラマーゾフの兄弟』と『戦争と平和』をつなげたくらいに長い.サルトルの『自由への道』でさえ,まあ,「分別ざかり」まででいいか,と投げてしまったかたは多いはずである(わたしもそう).以前,岩波書店が出している「図書」の臨時号に「岩波文庫 私の三冊」という特集があり,たいへんおもしろく読んだのだが,この冊子のなかで熊野純彦が挙げていたうちの一冊が『青年の環』であった.いわく,大学生のときにこれが岩波文庫に入り,二晩徹夜して全五巻を読み通したそうなのだが,三日で読めるものなのかと驚いた覚えがある.

 

実は,岩波文庫の全五巻セットが大学近くの古書店にお手頃な価格で並べてあるのを知っている.はたして買うべきだろうか.でもわたしのことだから,きっと買うのだろうな.いや,それにしても外的な経験をその通りに書き起こすのはほんとうに楽である.いつもこのくらい筆がするすると動いてくれると嬉しいのだが.終わり.