umindalen

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酒やめむそれはともあれ永き日のゆふぐれごろにならば何とせむ

本来ならば,終日一歩も外に出ずただ頭のなかだけで考えたことを書きつけたいのだが,これがうまくまとまらない(寝かせるうちにこちらの気分がころころ変わるので,書き足すと内容の統一感が失われたりする)ので,またまた遊興日記のごときものである.友人が書いてもいいと言っていたので,立ち入ったことを書くかもしれないが,差し障りのあるようだったら連絡してほしい.

 

不思議な夢を見た朝であった.たしか小学校の幼馴染だったと思うが,彼女がわたしにクイズを出すのだ.一点の絵画があって,そのどこか一部の上に薄めの木片を貼り,そのあとに全体をペンキかなにかで平らに塗り込めるから,見て正しい絵の向きを答えろ,というようなものであった.だいいち,その絵は立派な額縁に収まっていたのだし,立てるための台すらついていたのだから,画面をどんなに腐心して一様に均そうとも,答えは外しようのないものに思われた.それなのに,相手がずいぶんと得意げな顔をしているものだから,わたしは額の装飾の細部やキャンバスの裏などを細心に点検して,記憶に留めようとした.そしてなんとも残念なことに,そのあたりで目が覚めてしまったのである.果たして,あの問答の顛末はいったいどのようなものだったのだろうか,気がかりである.

 

やたらと早い梅雨明けの宣言が出された.日中の気温は連日三十度を超え,白いものに反射する陽射しは,あとに若干の残像を引くほどに眼を灼く.いよいよ夏も本番といった趣がある.風が強いのはありがたいことかもしれないが,通り抜けていく空気の生ぬるさはあまり爽快とはいえない.一日だから,お昼は久しぶりに丸亀製麺で釜揚げうどんを食べようと思って,事前に検索した上野中央通り店へ汗をかきかき歩いていったところ,開店は七月五日であった.落胆が大きかったが,こんなこともあるものである,もうすこしきちんと調べればよかったか.

 

昼下がり,友人と落ち合って,カンヌでパルムドールを獲ったと話題の『万引き家族』を観た.ファーストデイだからお得だ.是枝監督の作品を観たことはなかったのだが,とてもよかった.うまくいっているようで,ところどころに歪みの仄見えるこの「家族」はいったいなんなのか,その事情はある綻びをきっかけに明らかとなる.人間のありのままを放り出すように見せてくれていると思う.『海街diary』や『そして父になる』など,観てみたくなった.

 

アイスコーヒーを飲んで時間を調節し,根津まで歩いていく.不忍池のぐるりに咲く紫陽花は,その鮮やかな色が褪せつつあった.駅前でもうひとりと合流し,三人で予約しておいたお店へ.やたらいろいろなお肉を食べて,ワインをたくさん飲んだ.ワインもずいぶんとご無沙汰であったような気がして,おいしかった.さいきんは一時期ほどアルコールを飲んでいない.酩酊したいとはつねづね思っているのだが,あとの苦労がつい頭に浮かんでしまい,量を抑えてしまう.それでもけっこう満足がいくので,いいかなという感じだが,歳であろうか.

 

さて,そもそもこの会の開催は,(初めの)友人が永らく付き合っていた恋人に振られてしまったことに因っている.四年も一緒にいても突然そういうことが起こりうるらしい.わたしも似たようなものだが,精神的に不安定なところのある人間は,あるとき思いつめてゆくりなしに人間関係をすっぱり切り捨てようとすることがあるから,うまくやればよりを戻せるのではないか,というような話もしたが,まあ,部外者には推し量りえない微妙な力学があるのであろう,人間と人間のことだし.他人にすぐ考えつくような策は片端から試したあとのことなのかもしれない.

 

それにしても,彼の落ちこみようはひどかった.もちろん,まじめくさって慰めるような心優しいひとはここにはいないので,酒の肴にしてさんざん笑っていたのであるが,わたしはいつも誠実でまじめで心優しい(?)ので,ちゃんと考えつく限りのアドバイスをしたつもりである.どうか許していただきたい.彼はこの三人のなかではもっともまともな人間だとわたしはみなしていたが,気分が沈んでいると強迫的な症状が出たりするらしく,案外そうでもないことがわかってきた.ここのところ,顔を合わせる周りの人間が強迫気味だったり離人気味だったりで,相対的に自分がまともだということが判明しつつある.じっさい,わたしはかなりいい加減な人間だと思う.

 

 ひとりの人間に自らの生きがいのようなものを恃み,強く依存してしまうのはやはりリスクが大きいのではないか,というようなことが話題になった.当事者のほかのふたりが,(意識的に)他人を信用しないようにしている人間だからかもしれないが.できれば,自分ひとりでのめりこんで充足できそうななにかを見つけるのがよいだろう.わたしは,とりあえずは読むことと書くこととで当面のあいだは遊んでいられそうなので,その点では幸せだと思う.読むものはあるていど絞っていかなければならないと感じるけれど.

 

こういう趣向をしていると,いつでもひとり第三者でいようと考えるようになる.徒に気持ちをかき乱されたくないから,ふだんはひとと関わることはあまりしないが,この飲み会のように,ときたま娑婆で人間関係の話を仕入れては,わたしは冷笑し軽口を叩くであろう,視線にわずかの羨望と嫉妬を交えて.先のことはわからないから,知らないうちにいつの間にか渦中にいるということもあるかもしれないが,やはり外側にいることを傾向として好むだろう.自分のしたいことのために時間を使い,穏やかで満ち足りた心持ちでいることをなによりの喜びとするだろう.自他の境界に分別ある壁を築くこと,なるべく醒めた状態を保つことに心を砕くだろう.わたしはだいたいにおいて(とくに実地に顔を合わせると)人間が好きになる性質だから,ついつい過度にひとを期待するし信頼してしまう.そういうわけで,意識的なバランスの調節を図ることは自己防衛として大切なのである.

 

お店を出たあと,大学でもうすこし飲んだ.夜が更けると,なるほど,夏の夜の空気とはたしかにこういう風であったと,腑に落ちるようなものがあった.終わり.タイトルは若山牧水