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ゼーバルト『鄙の宿』(と,『土星の環』)

 

鄙の宿 (ゼーバルト・コレクション)

鄙の宿 (ゼーバルト・コレクション)

 

 内容紹介:

ジャン=ジャック・ルソー、ローベルト・ヴァルザーなど、ゼーバルトが偏愛した作家・作品と人生を振り返る。彼らは時代の波に乗らなかった「脇役」であった。そして、「幸福」とは言えなかった人生を送り、書くことを止められなかった作家たちであった。
19世紀から20世紀にかけて、急速に変貌を遂げていく近代社会、資本主義、そしてナショナリズムへの傾斜を背景にしながら、そうした趨勢と思潮に背を向け、逃避し、孤独で病的な作家たちの生涯が、ゼーバルトならではの独自な視点から取りあげられた逸話を交え、いつものように印象深い図版を豊富に織り交ぜながら綴られる。彼らが一見小さな領域に引きこもっているかに見えて、むしろ誰よりも「時代の災厄」を感知し、それぞれが言葉で相対していたことが、ゼーバルト流の息の長い密度の濃い文体で明かされる。時空を越えた連想や脱線から時代が捉えられ、歴史を越えて、生きる苦悩のごとき普遍的な生々しさが浮かび上がり、心を強く打つ。
ゼーバルトの歴史へのまなざし、近代に対する鋭い批評性を改めて認識させられる傑作であり、「コレクション」の完結となる。カラー口絵6点収録。

 

わたしがゼーバルトを知ったきっかけはなにであったか,定かには思い出すことができない.たしか数年前のこと,誰かが Twitter で『アウステルリッツ』に言及しているのをたまたま見かけたことだったような気がする.いずれにせよ,決して日本において人口に膾炙した作家ではないと思われる.ところで,わたしは別のひとによってお膳立てがなされていないとめったに旅行などしないたちであるが(行けば行ったで楽しいのだけれども),なかには寸暇を惜しんで,さして名を知られているわけでもない土地へ出かけていくのを好む御仁もいらっしゃることだろう.予定はあくまでざっくりとだけ組んでおいて,わざわざ寂れたところを選んでぶらぶらと歩き廻ったり,朽ち果てた建築を見つけて嬉しくなったり,ローカル線に乗って窓外をただ眺めてみたり,なんでもないようなものの写真を撮ってみたり,地元のかたとすこし話してみたり,地域の歴史が気になって資料館を訪ねてみたり,するのだ.一例ではあるが,きっと意外とたくさんいるであろうそういうひとびとに,ゼーバルトはもっと読まれてもよいのではないかと思う.

 

いまやすっかりこの作家の虜になってしまった.白水社ゼーバルト・コレクションは,法外なプレミア価格がついてしまっている『土星の環』を除いて揃えた.傑作『アウステルリッツ』が絶版になってしまっているのは実に惜しいし,大好きな『土星の環』もやはり手元に置きたい作品であるから,復刊を望んでやまないところだ.内容は言うに及ばず,このシリーズは(原文のことはわからないが)訳文の日本語も流麗で美しく,翻訳文学のひとつの達成であるように思われる.このまえ『鄙の宿』にすこし触れたので,読み返してみて,せっかくだからなにか関連するようなしないようなことを書いておこうと思い立った.

 

この本に紹介されている作家たちの気質は,まえがきに目を通すとおおよそ窺い知ることができるだろう.「あの奇矯な,感情の逐一を文字に変換させずにはおかず,驚くべき精妙さをもって人生を回避する行動障害の消息」などという(個人的にやたら気に入ってしまった)フレーズが飛び出してくる.それから,ヴァルザーのエピソードを引いてみたい.

ヨーゼフ・ヴェールレという,スイスのヘリザウの精神病院でヴァルザーの看護人をしていた人の話だった.ヴァルザーは,当時文学には完全に背を向けていたものの,いつもチョッキのポケットにちびた鉛筆と手製の紙片をしのばせていて,ちょくちょくなにかメモをしていた,というのである.ところが,とヨーゼフ・ヴェールレは続けていた,人に見られていると思うや,ヴァルザーはまるで悪いことか恥ずかしいことでも露見したかのように,そそくさと紙片をポケットに押し込んでしまった,と.嫌気がさそうが出来なくなろうが,物を書くこととは,あっさりと解放されるいとなみではないのに違いない.文筆を擁護する言は,書く側の立場からはほとんど出て来まい.報いられることはあまりに少ないのだ.

 

なかでももっとも有名なのはジャン=ジャック・ルソーであろう.ここではルソーについてのエッセイにだけ触れる.最晩年に著された『孤独な散歩者の夢想』にはわたしも感銘を受けた.フランス語の散文の歴史において屈指の美文と讃えられているらしい「第五の散歩」は,『エミール』および『社会契約論』が危険思想とみなされパリを追われたルソーが,迫害を逃れつつ二ヶ月のあいだ逗留したスイス・ベルンはビール湖に浮かぶサン・ピエール島での安閑とした日々を綴ったものである.ゼーバルトは初めてビール湖を眺め下ろした学生のときから実に三十一年後にして,ようやくこの島へ足を踏みいれる.

 私はと言えば,ルソーの部屋にいて,過ぎ去った時代へと連れ戻されたかのような心地であった.それは幻想ではあったが,遠いエンジンの音ひとつしない百年か二百年前に世界中をひたしていたのと変わらぬ静けさが島をひたしていただけにその幻想には容易に入り込めた.なかんずく日帰りの行楽客が帰ってしまう夕暮れには,島は文明社会にはもはやほぼ皆無となった静寂のなかに沈んで,ときおり湖面をわたる微風にポプラの巨樹の葉かなにかが揺れるほかは,動くものひとつなかった.

 

自分がいくらいやだと言っても頭の歯車が勝手に思考を始めること,そうして湧きだす想念を強迫的に書きつけねばいられないこと,そうしたことにほとほと疲れ果てたルソーは,書物を紐解くこともペンを手に持つこともやめて,島の植物採集にかまけるようになる. 「第五の散歩」が引かれている.

「私は『サン・ピエール島植物誌』を作る計画をたて,島のあらゆる植物を一本残らず記述することにした.記述はじゅうぶん詳細にして,死ぬまで暇つぶしにこと欠かないようにするつもりだった.なんでも,レモンの皮について本を一冊書いたドイツ人がいるという話だが,私とて牧場の芝草の一本一本,岩をおおう地衣の一枚一枚について,一冊ずつ本を著していたかもしれない.要するに私は,草の毛一本,植物の微細な部分ひとつなおざりにすることなく,しっかり記述しないではおかない気持ちだった.(略)」

ここには,仕事をやめて純粋に愉しみのための趣味に走ろうとするものの,生来の完璧主義的な性向がまたしてもそれを(しかも到底仕上がりそうにない)仕事めかしてしまう ,というルソーのどこかおかしみを含んだもの哀しさがみてとれるだろう.

 

わたしのとある友人は,視界のすべてがのっぺりした画面で尽くされることに冷や汗をかくほどの恐怖を覚えると語っていた.例えば,広い建物のまっ白な天井や,澄み切った青空といったもの.自分がそちらへ吸い込まれて消えてしまうような感覚に襲われるのだという.しかし,もしかすると,ルソーが真に望んでいたこととは,まさにこうした忘我の体験であったのかもしれない.彼はよく晴れた日に,凪いだ湖面へボートを漕ぎ出すことを好んだ.

低地の厚い空気の帳から解き放たれた,どこか超自然的な印象の風景,一切を忘れ,自分すら忘れ,やがてどこにいるのかも判然としなくなるような風景.「風景のこのうえなく清澄な一瞬は」とルソーにおける透明性をテーマに研究しているスタロバンスキーが書いている,「個人の存在がその端から溶けていって,夢想のうちに薄い大気へと変容していく瞬間でもある」.すっかり自分を透明にしてしまうこと,スタロバンスキーによれば,それが近代的自伝の発明者ルソーの究極の野心だった.

 

それから,『土星の環』についてすこしだけ.この旅行記とも歴史ものともエッセイとも小説ともとれる不思議な魅力にあふれる作品であるが,やはりゼーバルトがそうとう思い入れているのであろう,その人生の襞に複雑な陰翳の刻まれた文人に関する記述がところどころに挿入される.わたしがかろうじてその手になるものを読んでいたのはジョゼフ・コンラッドくらいであったような憶えがある.さて,そのなかに,エドワード・フィッツジェラルドという名前がある.

フィッツジェラルドが生前自分で完成させ出版した唯一の仕事は,ペルシア詩人オマル・ハイヤームの『ルバイヤート』の珠玉の翻訳である.フィッツジェラルドは,八百年の時を超えて,ハイヤームにもっとも自分に親和しい者を見いだしたのだった.二百二十四行に及ぶ詩の翻訳に費やしたはてしのない時間を,フィッツジェラルドは死者との対話と名づけ,自分は死者からの知らせを伝えようとこころみているのだと述べている.

 

これに関連して,さいきん投稿されたある動画を紹介したい.

まったく異なる媒体から情報を得ていて,ときにそれらが一瞬の交錯をみせることがあるが,これはつねに愉快な体験であろう.この動画シリーズはとても作りが丁寧であり,投稿者の書物に対する偏愛のごときものが感じられてたのしい(それになんというか,動画の特質上,決めどころで気障な言葉遣いを用いたりしているが,それを人目に晒すことの羞恥について,共感できるような気がする).わたしはどうしてもこの宣伝がしたかったのだ,満足.暇なときにでも,ぼーっと眺めてみていただきたい.

 

また,印象的だった箇所を引いてみよう.本作には,イギリス貴族階級の斜陽に思いを馳せる場面がいくつかあるが,そのひとつ.英語のルビがふってある文は,英語のほうを用いることにする(ちなみに,すこし英語がおかしい気がしたので英訳版を参照したところ,たぶんそちらのほうが正しいので,それに準じている).

荒れる一方の屋敷そのものは,もちろん買い手がつきません.それでわたしたちは呪われた魂みたく,ひとつところにずっと縛られて今日まできたのです.娘たちのえんえんとした縫い物,エドマンドがある日はじめた菜園,泊まり客をとる計画,みんな失敗に終わりました.十年ほど前にクララヒルの雑貨屋の窓にチラシを貼ってからというもの,あなたは,とアシュベリー夫人は言った,うちにいらしたはじめてのお客さまなのですよ.情けないがわたしはとことん実務にむかない人間,じくじくと物思いにふける性分です.家じゅうそろって甲斐性のない夢想家なのですわ,わたしに劣らず,子どもたちも.'It seems to me sometimes that we never got used to being on this earth and life is just one great, ongoing, incomprehensible blunder.' アシュベリー夫人が話を終え,そうしてみると私にはその話の意味が,ここに残って,日々邪気のなくなっていく彼らの人生をいっしょに分かってほしい,と無言のうちに頼まれていることであるかのような気になってくるのだった.

 'I have come to say goodbye,' と私は言って,枝葉の繁ってできた緑の四阿に足を踏みいれた.キャサリンは巡礼の帽子のような,ドレスとおなじく赤い鍔広の帽子を両手で下げていたが,すぐそばにたたずんでいるのに,はてしなく遠いところにいるようだった.眼はうつろで,視線は私を素通りしていた.'I have left my address and telephone number, so that if you ever want...' 私は言いさして,それ以上のことばをのみ込んだ.なんと続ければよいのかもわからなかった.キャサリンはいずれにせよ上の空だった,とそのとき気づいた.'At one point,' とかなりたってから彼女が言った,'at one point we thought we might raise silkworms in one of the empty rooms. But then we never did. Oh, for the countless things one fails to do!'

 

わたしは自分の実人生(公私にわたる広義の人間関係くらいの意味だが)に文字通りなにも期待することがない.より正確にいうと,なにに対しても過大な期待をしては裏切られる性分なので,もうそういうことはやめて,さして恃むところもない自己だけに責任を押しつけるほうを選んだ,ということになるだろうか.なにか人間と積極的に関わることを試してみようと外界へくり出していった時期もあったが,結局はわりに合うものでないと感じて切り捨ててきた(あれも「はしか」のようなものだったような気がする,人間はただそのつどの「はしか」にかかり続けて死んでいくのかもしれない).もちろん,そうした営為は,ある種のっぴきならない状況へ自分を追い込むことで初めて見えてくる景色がある,というような性質を帯びていることは承知しているつもりでいるのだけれども(ときどきここにも書いているが,もちろん,よい出会いも多々あります,念のため.やはり根本のところで人間が好きなのだと思う).

 

堂々巡りのすえにわたしが舞い戻ってくる地点はたいていいつも同じであって,それは,そのときのわたしにとって「ぴったりした」言葉,現状を描きとり把握させてくれるようなそれ,である.さりげない日常の一コマの,精緻な描写,分析.それを読む愉悦さえ与えられるならほかにはなにもいらないと感じられる.こういう見つかるか見つからないかまったくわからないようなものに,生活のほとんどすべてを支配されているのだと考えると,空恐ろしくなる.言葉は究極的に空虚な,周縁的な性格のものであろう,わたしは空虚だけを欲して,そのなかでのみ生きようとしている.なかば強迫的に,読むことと書くことだけに価値をおいてしまっている.どうやらこれは,あまりかかずらうべきでないたぐいの代物であったように思われてならない.

 

これを書いているいまはあまり元気がないが,だいたいそういうときのほうがよく筆は走るものだ.自死に支配される思考と気力をどうにか書くほうに振り向けて綴っている,といったところか.死ぬとどうやら意識がなくなるらしいのは,とてもよいことに思われる.まあ,わたしも元気なときはそれなりにちゃんと元気だし,適当でいい加減なはずだ,たぶん.元気でいるなんていうのもひたすらに馬鹿らしくてくだらなくて厭になるけれど,なぜならそういうポジティヴな状態はしょせんまがい物であるという認識から抜け出せないので.自分の気分が移ろうことはほとんど耐えがたい.十分に睡眠をとったり,ゆっくりとお湯に浸かったり,おいしいものを食べたりすれば気分も好転すると言われるし,たいていその通りなのだけど,そんなことをくり返して生きていくその総体がとかく受け容れがたい.三角関数を均してはただのゼロにし続けているような感じがする.そういうわけで,わたしは浮世の得体の知れなさに対する涙ぐましい抵抗として,どんなにしようのないことでも書いておくことにしている.書き出すまではほんとうに億劫だし無価値だと感じているが,少しずつ筆を進めるうちにぽんぽんと想念が浮かんだりして,最終的に存外よく書けたと思うものである.「よく」というのは,全体としてうまい「かたち」を与えることができた,というくらいの意味であろうか.自分の綴った文章というのは,いかに駄文であってもそれなりに愛おしい.

 

あっちへこっちへといろいろ書き散らしているが,やはりこうして吐き出しているとずいぶん気が軽くなる.デトックスというやつだろうか,まあ畢竟,人間は元気でいるにこしたことはないのである(みなさんも元気でいてください).画面から目を離して現実へ立ち返ると,すぐさまじっとりした暑さが意識に上る.買い物へ出かけようにも,日の暮れかかるころでないと身体が参ってしまう.ドアを開くと外気はほのかに暖色を帯びている感じがして,夕食の支度をするくらいの時刻であるからか,どこからともなく湿った風にのって,日本的な「さしすせそ」の,煮炊きの匂いがただよってくる.なんだか急に昔日へと引き戻されるような思いがする.わたしの幼少の記憶は,ばらの香りによって喚起されるのではない,匂いそのもののなかに,わたしは思い出を嗅ぐのだ,とはベルクソンだったか.階段を降りると,しばらく水を吸っていないらしい鉢植えの葉が,先端をくたりと地面へ丸めて佇むのが見え,横から差し込む西日が路面に落とす長い影は,わずかにふらふらと揺れている.わたしはそんなに夏がきらいでもないのかもしれないと,そんなことを思う(でもやっぱり暑いものは暑い!).