umindalen

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読書会のこと

ブログを更新するために文章を書くのは実に虚しいうえにただの恥さらしなので,どうすべきかいつも逡巡してしまうのだけれども,今日は大学で偶然に会ったひとと久しぶりに人間らしい会話ができて機嫌がよいので,書いてみることにした.あとで思いや考えのいろいろに変わることことがあろうと(そしてそれがほとんどであろうとも),わたしはそのとき頭に浮かんだことは書いておくことに決めたのである.それに,記事をたとえば100本投稿するとなにかいいことがあったりするかもしれないし…….

 

ひょんなことからとある社会人の文芸読書会にときおり参加させていただくようになって,もうけっこうな期間になっている.世の中には奇妙なめぐり合わせというのがたまにあるものです,たしかに.このあいだの休日に催された会にも朝から出かけていって,松浦寿輝『幽・花腐し』と堀江敏幸『熊の敷石』についててきとうなことをしゃべっていた.こういう本は,どのあたりを引用するかなど,すこしは前もって考えておかないと紹介しづらい.そういう意味では多少は話す練習になるかもしれない,まあ,あくまで気楽な場だけれども.ほかのひとのものでは,村上春樹螢・納屋を焼く・その他の短編』や西村賢太苦役列車』,町田康『珍妙な峠』なども印象深かったが,マルケス『族長の秋』にいちばん驚いたような気がする.わたしが読んだ限りではもっともおもしろかったマルケスは『族長の秋』である.小説のひとつの理想はどこから読み始めてどこで終えてもよいというもので,『族長の秋』はまさにそうした物語だ,みたいな書評をむかし読んだような憶えがあるのだけれど,どこで目にしたのだろう,解説とかかしら,よくわからない.

 

お昼を食べて,ひとまず解散.天気がよかった.わたしを含めた男性4人であまりあてどのない散歩をしていた.日陰では吹きつける冷たい風に身をすくめるようであったが,昼下がりの意外に暖かい日差しを浴びながらしばらく歩いていると今度は汗がにじむほどで,コートを脱ぐことになった.それぞれに嗜好の差はあれ,それなりに変な本を好んで読むひとたちのあいだでは,だいたいどんな話を切り出そうと許容されるしあるていどは共感もされているだろうという雰囲気が漂っている(と思う).他人を自分をてきとうに揶揄することについてさして抵抗がない.そういうわけでとても晴れやかで愉快な気持ちであった.

 

わたしはまったく手をつけたことがないのだが,トマス・ピンチョンの話が出た.さいきん大学の友人ともすこし話題に上ったのだけれど,新潮社のピンチョン全小説シリーズはほんとうに装幀が格好よい.部屋に置いておくだけで小さなアクアリウムくらいのインテリア効果は期待できるのではないかと思う.とくに『重力の虹』.はたして読み通すのにどのくらい骨が折れるのだろうか…….こういう類いのものを,単行本はいつ絶版になるかわからないなどといって買い始めると悲惨なことになるのであろう.

トマス・ピンチョン 全小説 重力の虹[上] (Thomas Pynchon Complete Collection)

トマス・ピンチョン 全小説 重力の虹[上] (Thomas Pynchon Complete Collection)

 
トマス・ピンチョン全小説 重力の虹[下] (Thomas Pynchon Complete Collection)

トマス・ピンチョン全小説 重力の虹[下] (Thomas Pynchon Complete Collection)

 

 

カフカを熱心に読んでらして,『城』がとくによい,という方がいた.恥ずかしながらわたしは長篇をまともに読みこなしたことがない.村上春樹ねじまき鳥クロニクル』との関連で『流刑地にて』の話をしていて,やはり個人的にはカフカ岩波文庫の『カフカ短篇集』がもっとも印象深いと思った(彼の日記などもとてもおもしろいのだが).最後に収録されている『万里の長城』がとても好きである.すこし引いてみる.

 われわれの国土はかくも大きいのだ.どれほど壮大なお伽噺もこの国の大きさにはかなわない.大空でさえ,われらが国土をつつみかねている.――一方,北京は単なる一点である.皇帝の居城ときたらシミのように小さい.皇帝の威光はあまねく世界にたなびいているが,うつし身の皇帝はわれわれと同じ一人の人間にすぎず,われわれと同様に長椅子に寝そべっている.それがいかに華麗な椅子であれ,長さ,大きさなどしれたものだ.われわれと同じようにときには伸びをし,疲れれば手を口にそえてあくびをすることもあるだろう――しかし,どうすればその種のことを知りうるのだ.何万里もはなれた南方であって,少し行けばチベットの山系に踏みまようところなのだ.知らせが届くとしてもはるかな時がたってからのこと,もはや古びはてている.皇帝のまわりには廷臣どもがひしめいていることだろう――綺羅星のごとく,かつまた黒雲のごとく.臣下や友人の衣をまとっていても,あまたの悪意をひめ,敵意を抱いた者たちであり,君主に対抗する一方の雄として,あわよくば毒矢の一刺しで皇帝を倒しかねないのだ.君主制そのものは不滅だとしても個々の皇帝は,あるいは倒れ,あるいは失墜する.連綿とつづいてきた王族も,いずれは栄光地に落ちて,ついには滅ぶ.民衆はこの間の闘争や苦難について何一つとして知ることができない.町の広場では王の処刑が行なわれているというのに場ちがいな遅参者さながら,あるいは山出しの田舎者のように,ぎっしり人が群がっている横丁の奥につっ立って,手持ちの何やらをモグモグ食べているようなものなのだ.

 

そういえば,一時期もてはやされていた『読んでいない本について堂々と語る方法』はわりにまじめな内容でおもしろいらしいと聞いた.そのうち読んでみたい.

 

いまどきウェブ上でひとを募っている読書会はあまたあるけれども,いわゆる自己啓発本やビジネス書などを中心に扱うところがわりに多くてわたしは苦手であった.一冊もろくに読まずしてあれこれいうのはご法度かもしれないが,すくなくとも前者にかんしては,セネカの『生の短さについて』とか,ラッセルの『幸福論』とか,神谷美恵子の『生きがいについて』とかを読んでいたほうがよほどいいのではないかと思ってしまうが,どうなんでしょうか.