umindalen

本と映画,カイエ.umindalen@gmail.com

明け方の肌寒い十月初め

台風が過ぎてからよい天気が続いているが,秋の長雨はまだ終わっていないのか,よくわからない.傘を差しながら出かけていくのは気が進まないけれど,暑いよりかは肌寒くて薄暗いくらいの気候のほうがいくぶんか気性に合っているように感じられる.加えて,どちらかというと薄着よりかコートやジャケットを羽織るほうが好きである.わたしにあまり書くべきことがあるとも思われないが,頭のなかでなにか糸口のようなものを掴んだ場合には,ともかく書き始めてみてもよいのかもしれない.みなさんブログを更新していらっしゃるようでもあるし.たぶん,性懲りもなく本のことになる.本は人間と違っておとなしく,おまけに頭がいいので,人間よりすぐれているのはたしかである.

 

教養のころからの友人で,いまは関西にいるひとから久しぶりに連絡をもらった.じきに東京へ戻る機会があるから,飲みに行こうということである.とかく嬉しいのは,彼がすぐにさいきん読んだ本の話を切り出してくれることだ.それでけっこう元気をもらった.そういえば,まえに話題にした木田元の自伝でも,ひとの思い出話のところで,とある年配の先生はいつでも,会って腰をかけるやいなや読んだ本のことについてとうとうと語り始め,そのジャンルの多種多様にわたることに驚いた,というようなくだりがあった.いまどき貴重なことであろうし,大切にしたい友人である.さてその本だが,フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』だ.

グレート・ギャツビー (新潮文庫)

グレート・ギャツビー (新潮文庫)

 

 感激した,とのことであった.わたしにとって印象深いのはその書き出しの部分が,受験生のときにくり返し読んでいた行方昭夫『解釈につよくなるための英文50』にとられており,邦訳の文庫を開くとよく頭に残っているフレーズが目に飛び込んできたことである.原文のほうを引いておこう.

   In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I’ve been turning over in my mind ever since.
   ‘Whenever you feel like criticizing any one,’ he told me, ‘just remember that all the people in this world haven’t had the advantages that you’ve had.’
   He didn’t say any more but we’ve always been unusually communicative in a reserved way, and I understood that he meant a great deal more than that. In consequence I’m inclined to reserve all judgments, a habit that has opened up many curious natures to me and also made me the victim of not a few veteran bores.

思いつきだが,いぜん持ちだした『風の歌を聴け』の冒頭の箇所は,こことずいぶん似通っていないだろうか.デビュー作は,フィッツジェラルドを意識して照応するように書き始められたのかもしれない. 

 

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

 

もう一冊,わたしがいつぞや薦めていたカズオ・イシグロの『日の名残り』も読んでくれたとのことであった.これも初めて読んだのは受験生のころであったように記憶している.そのときはさほどなにも感じなかったのだけれど,時間を経て再読したときから好きな作品になった.いくどか読み返している.映画もよい.アンソニー・ホプキンスの悲しげな青い眼がよく合っていると思う.


The Remains Of The Day (1993) Trailer

 

読めないなりに辞書を引きつつ原書のページを繰ったりもしている.最後のほうから引用してみたい.ミス・ケントンとの再会ののち,夕暮れどきの海を望む桟橋のベンチで,横に座ってきた男とスティーブンスが交わす会話である.ところで,'first flush' は紅茶にもいうけれど,なにかイギリスらしさがあったりするのだろうか.

   ‘You must have been very attached to this Lord whatever. And it’s three
years since he passed away, you say? I can see you were very attached to
him, mate.’
   ‘Lord Darlington wasn’t a bad man. He wasn’t a bad man at all. And at least he had the privilege of being able to say at the end of his life that he made his own mistakes. His lordship was a courageous man. He chose a certain path in life, it proved to be a misguided one, but there, he chose it, he can say that at least. As for myself, I cannot even claim that. You see, I trusted. I trusted in his lordship’s wisdom. All those years I served him, I trusted I was doing something worthwhile. I can’t even say I made my own mistakes. Really - one has to ask oneself - what dignity is there in that?’
   ‘Now, look, mate, I’m not sure I follow everything you’re saying. But if you ask me, your attitude’s all wrong, see? Don’t keep looking back all the time, you’re bound to get depressed. And all right, you can’t do your job as well as you used to. But it’s the same for all of us, see? We’ve all got to put our feet up at some point. Look at me. Been happy as a lark since the day I retired. All right, so neither of us are exactly in our first flush of youth, but you’ve got to keep looking forward.’ And I believe it was then that he said: ‘You’ve got to enjoy yourself. The evening’s the best part of the day. You’ve done your day’s work. Now you can put your feet up and enjoy it. That’s how I look at it. Ask anybody, they’ll all tell you. The evening’s the best part of the day.’
   ‘I’m sure you’re quite correct,’ I said. ‘I’m so sorry, this is so unseemly . I
suspect I’m over-tired. I’ve been travelling rather a lot, you see.’

 

雪沼とその周辺 (新潮文庫)

雪沼とその周辺 (新潮文庫)

 

 いま活躍している作家の作品をなにか,と思って堀江敏幸の『雪沼とその周辺』を読んだ.時代遅れといわれてもしかたのないようなアナログな事物に惹かれるところのある向きにはおすすめしたい.連作短篇集であるが,そのなかの「送り火」を読み進めながら,この文章はどこかで見たことがある,と思ったところ,センター試験の小説で題材にされていたのであった.一段落を引く.見覚えのあるかたもいるだろう.

 触ってごらん,と言われるままに触れたその虫の皮はずいぶんやわらかく,しかも丈夫そうだった.使いこんだ白い鹿革の手袋の,ところどころ穴があいたふうの表面の匂いとかさつく音をこの書道教室に足を踏み入れた瞬間ふいに思い出し,匂いといっしょに,あのグロテスクな肌と糸の美しさの,驚くべきへだたりにも想いを馳せた.あたしは肌がつるつるさらさらして絹みたいだから絹江になったの,絹代ちゃんとこみたいに蚕を飼ってるからつけられた名前じゃないよ,と一文字だけ名前を共有していたともだちが突っかかるように言った台詞が,絹代さんの頭にまだこびりついている.生家の周辺を離れれば,養蚕なんてもう,ふつうの女の子には気味の悪いものでしかない時代に入っていたのだ.それなのに,墨の匂いを嗅いだとたん,かつてのおどろおどろしい記憶がなつかしさをともなう思い出にすりかわったのである.陽平さんにそれを話すと,墨はね,松を燃やして出てきたすすや,油を燃やしたあとのすすを,膠であわせたものでしょう,膠っていうやつが,ほら,もう,生き物の骨と皮の,うわずみだから,絹代さんが感じたことは,そのとおり,ただしい,と思いますよ,と真剣な顔で言うのだった.生きた文字は,その死んだものから,エネルギーをちょうだいしてる.重油とおなじ,深くて,怖い,厳しい連鎖だね.

 

 ここしばらく,ただでさえ収納が足りないのにかさが張るという理由で漫画を買うのを避けていたが(どうしても紙で欲しいので),『やがて君になる』の6巻はたのしみにしていたので発売してすぐに手に入れて読んだ.やはり期待を裏切らずおもしろい.画はきれいだし,お話はなかなか考えさせられるものがあるし,ときおり気楽な幕間もある.いま思えば,演技派(?)の人間がこれを好むのは当たり前であったか.この現実においてわたしではない何者かにならなくてはならない,という強迫の行き詰まりを迂回するひとつの手段は現実のメタに立つことで,この作品の場合にそれは演劇であった,と一面的にはいえるように思う.劇中劇というのは興味深い.

 

仄聞するところによるとなにやら depersonalize された同志が共感し合っているらしい,みなさんロカンタンが大好きなのですね.わたしは比較的フラットな気分で暮らしており,自我が安定しているように思えるが,それはそれで無の感じがより強かったり,と,なかなかうまくいかない.誰かみたいにお守りのごとく鞄に『嘔吐』を忍ばせておこうかしら.本がお守り,という感覚はとてもよくわかる.読みもしないものを何冊も持ち歩くのをやめられない.先日は彼におまえは原著を買って読めと言われたが,それも悪くないかもしれない.いや,もう本を買いたくはないのだけれども…….