umindalen

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「人薬」の験あらたか

ひとと会うとたいがいはなんともいえない居心地の悪さを覚えるわたしであるが,そのぶんたまには感動するほどの出会いもある.これほどに気分がよくてはしゃいでいるのはほんとうに久しぶりかもしれないので,書き留めておくのも悪くないだろう.「人薬(ひとぐすり)」というのは精神科医斎藤環が著書でよく持ち出す概念だが,よかれ悪しかれやはりひとの精神に大きな影響を与えるのは同じひととのやりとりなのであろう.

 

いつも通り虚無を煮詰めたような朝を迎え,晴れやかな空のもと最終日であるらしい池袋西口公園の古本市をさまよって子規の歌集など手にとっていたが,ひょんなことから友人とカフェで作業することになった.これはどうでもいいことだが,彼は首にチョーカーを巻きヘットフォンをかけている.ひとがひとを判断するのに第一印象は極めて重要な材料となるのだから,身なりによる差別化は有効な手段であると,いたって当たり前なことを今更に納得する.わたしもブログの記事をプリントしたTシャツを着るべきかもしれない.あと,もっとどうでもいいけれど,彼に「おまえ声出てなくない?」と言われてしまった.ほんとうにひとは声の出し方を忘れるのである.

 

閑話休題.差し出がましいことだが,彼が別の友人ふたりとご飯に行くというのにご一緒させてもらうことにした(いつでも人恋しいので).一抹の不安と期待を抱えつつ実際に話してみると,それぞれ煙草を喫むひとと三島を好むひとであったので,ごくごく自然に信頼することができた.わたしの乏しい経験に照らして,喫煙者と三島を読むひとにろくなのはいない.急いでつけ加えるが,これはもちろん褒め言葉である.あまり内容を詳らかにはできないのでもどかしいところだが,久方ぶりに邪悪で愉快な会話ができて数ヶ月ぶんは笑えた.あるひとの見た目から受ける印象が,話すにしたがって明らかになる内面からのそれと著しく乖離していくのを目の当たりにするのは実におもしろい体験である.もちろんこれはわたしの側からの勝手な像の構成にすぎないことは承知しているが,今日わたしは『禁色』の南悠一のごとき人間に出会ったような気がしたのだ.少なくともわたしのこの感動そのものは錯覚ではありえないのだから,それはそれで大切にするとしよう.

 

「生きていればなにかしらいいことがある」などというのは虚言だと信じているが,生きていれば存外いいこともあるらしい.とりあえずしばらくは生きていてもよさそうだ.あと,もう少し活動的になりたい.終わり.